こたパパです。
今日は「38日間の銀婚式ペアリング」のお話。
本当に時が過ぎるのは早いもので、こたママが旅立ってからちょうど1年が経過したのだ😢。こたママが銀婚式ペアリングを付けられた期間は、わずか38日間であったが、こたパパはこのペアリングが、こたママの命をほんの少し伸ばしてくれたのだと今でも信じているのだ🙂。
実は昔、こたママは結婚数年後に、結婚指輪を紛失してしまったのだ。なので、こたパパはこたママの病気発覚後に、来年の銀婚式を機に新たなペアリングを作ろうと思いついたのだ。なぜなら、こたパパは、結婚してからこたママには、ただの1回もあらゆるジュエリー系をプレゼントしたことがなかったからである😅。当然、銀婚式当日のサプライズである😜。
ところが、銀婚式を2か月半後に控えた頃に、こたママの体調が急激に悪化し、8月末にはほぼ意識不明のままICUに入ることになった。こたパパは主治医から状況が極めて厳しいと宣告されていたのだ😰。
こたパパは少し前から、少々気恥ずかしいが一人でジュエリーショップに行き、特注可能な銀婚式ペアリング候補を探し、リング裏に彫る文字も考えていた。小太郎も指輪作成に参加させるため、指輪裏に肉球マークまで彫る段取りをし、リング形状を結婚指輪と同じように夫婦同型に加工しなおし、プラチナもランクアップさせた、こたパパの当初予算が倍に膨らんでしまった特注品である😅。
銀婚式ペアリングは少なくとも9月上旬に発注しなければ間に合わない。だが、その頃になってもこたママはICU内で状況は改善されないままだったのだ。こたパパはこの時、銀婚式ペアリングを発注すれば、こたママが奇跡的に持ちこたえるかもと考えて、半ば願掛けのように発注したのだ😌。
それからこたママは、ICUでなんと1か月半もの集中治療を受け、10月中旬に一般病棟に戻ることができたのだ😝。これには、銀婚式のことを知っている病院関係者の懸命の努力があったはずだ。感謝感謝である😌。
そして以前ご紹介した「遥かなるニュージーランド」という記事の通り、病室でわずか15分間の銀婚式を行い、二人で銀婚式ペアリングを付けたのだ🥰。(今気づいたが、こたママはピースサインしていたんだな😄)
こたママは想定より激やせして、リングはブカブカだったのだが、最後は親指に付けていたこともあったらしい。今この銀婚式ペアリングは、こたママの遺影の前に飾ってあるのだ😄。
あの時、銀婚式ペアリング発注を決断して本当に良かったな😝。ただ、今となっては、高価な銀婚式ペアリングよりも、病院での銀婚式後に、「この指輪は宝物」とこたママが送ってきたLINEメッセージの方が、はるかに大事な宝物だと感じているこたパパである😜。
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