こたママを二度死なせない


こたパパです。

 

今日は「こたママを二度死なせない」についてのお話。

 

「人間は二度死ぬ」という言葉がある。一度目の死は、「医学的な死」。つまり肉体が滅ぶという事である。二度目の死は、「忘却的な死」。つまり亡くなった人の記憶が、人々から完全に忘れ去られた時に訪れるのだ🙁。

 

親しい人がいなくなった時、その苦しさや悲しさから逃れようとして、あえて意識的に「早く忘れる」「考えない」「思い出さない」という手段も確かにあるだろう。そもそも自分の人生(記憶)から消してしまえば、その本人は辛くないかもしれない。そしてそのことを、こたパパは別に悪い事でもないと思うのだ🤔。

 

だが、こたパパは、そういう手段を使われる対象(つまりこたママ)にとっては、やはり相当つらいのではないかと感じてしまうのだ🤔。

 

こたママはどう考えても、米津玄師の「Lemon」の歌詞にあるような「私のことーなどーどうか忘れてーくだーさーい」というタイプではないのだ😅。どちらかといえば、ユーミン(麗美)の「青春のリグレット」の歌詞にある憎んでもー覚えててーというタイプなのだ🙂。

 

確かに、こたパパは、こたママのことを思い出すと辛くて悲しくてしんどいのだが、それを何とか乗り越えて、「覚えてて」というこたママの想いを叶えねばと思っているのだ😂。

 

「100年老舗飲食探訪」は、こたパパがそのために懸命に考えた手法の一つでもあるのだ。この活動では、必ずこたママペンダントと一緒である。つまり、活動を続ける限り、こたパパとこたママ(小太郎)との時間は、ずっと続くのである(多少無理矢理感は否めないが・・)😄。

 

こたパパが、今こたママにできることは、小太郎との「100年老舗飲食探訪」を通じて得たいろいろな経験を共有し、さらにブログを書くことによって、こたママとの思い出を長く記録に残すことだろう。そしてこれは「こたママを二度死なせない」ということでもあると考えている、こたパパである😉。

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