知覧特攻平和会館

こたパパ@全国100年老舗節約グルメ旅人です。

 

本日は「知覧特攻平和会館」についてのお話。

 

こたパパは、終戦記念日である8/15の前後に、いつも「神風特攻隊」に関連する動画をyoutubeで見る習慣があるのだ。そしてこれらの映像を涙しながら見る度に、現在自分が苦労し悩んでいる事が、「いかに小さくてしょーもないこと」をいつも実感させられるのだ😓。

 

こたパパが生まれた鹿児島には、先の大戦で特攻隊の出撃基地となった知覧元飛行場があり、現在その跡地には知覧特攻平和会館があるのだ。こたパパが、祖父母に連れられて初めてここを訪れたのは、確か大学院生の時だったから、もう30年以上昔のことである🤔。

 

大人になって、広島平和記念資料館長崎原爆資料館、九段の遊就館や、広島の大和ミュージアム、山口の回天記念館、沖縄のひめゆり平和祈念資料館など数々の戦争資料館を訪問したが、その中でもこたパパが最も衝撃を受けたのが、この知覧特攻平和会館なのだ😐。

 

特攻作戦については、「戦争美化」だとか、「無駄死にだ」とか、「軍国主義の象徴」だとか、「自発的ではなく実態は強制だった」とか言われることも多いし、客観的に見ればその事実もあるのだろう。ただ、それらを踏まえた上でも、わずか20歳前後の若者が、年老いた両親や、愛する妻、幼い子供達に立派な遺書を残し、散っていった事実に変わりはないのだ😭。



 



先の大戦下で「史上最悪の作戦」と言われた、インパール作戦に軍医として従軍した祖父は、その悲惨さをほとんど語ることはなかったが、こたパパをわざわざこの施設に連れてきたのは、戦後日本が目覚ましい復興を遂げる中で、それはこういった方々の犠牲の上に成り立っていることをを知ってほしかったからに違いないのだ🙂。

 

どんな分野でもそうだが、漠然と書物等で知識として知っていることと、実際に記念館等で実物を見て経験するのとでは全く捉え方が異なるのだ。こたパパは、ここで直筆の遺書を見たときの衝撃今でもはっきり覚えているのだ(だからこそ各種災害時にも、単に音声や映像を通じてではなく、現場に行って実体験するのだ)😑。

 

近年世界各国で紛争が勃発し緊張が高まっており、「現実主義者」のこたパパは、その対応が一部必要なことも理解はしているが、日本の国会議員は「防衛費大幅増」や「武器輸出解禁」、「敵基地先制攻撃能力保有」などと勇ましいことを言う前に、当選したらまず日本各地の主要戦争資料館の訪問義務」を課して、「本当に日本を守るとはどういうことか」を勉強した方が良い思っている、ある意味では非現実主義者」でもあるこたパパである😉。

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