こたパパです。
今日は「ハンドルの遊び」についてのお話。
昨今、世の中の急速な「デジタル化」が進展していることは、読者の皆様も実感されているのではないだろうか?デジタル庁の新設をはじめとして、コロナに起因したテレワークの進展による、印鑑廃止論議や、効率的な給付金支給のためのマイナンバー制度の拡充、無人コンビニや自動運転による業務効率化の進展等、具体例は枚挙にいとまがない🙂。
こたパパはこの「デジタル化」の流れについては、概ね賛成の立場である。日本は、長らく先進国と言われながら、「デジタル化」については世界から大きく後れを取っており、日本の労働生産性が低迷(経済停滞)している主要因の一つであることは、間違いないだろう🤔。
ただこたパパは一方で、行き過ぎた「デジタル化(効率化)」が社会に与える影響も無視できないのではと感じるのだ🙁。
自動車を運転する方であれば、「ハンドルの遊び」に関してはお分かりになるだろう。実はハンドルは、レスポンスが良すぎると逆に事故を誘発してしまうのだ。このため方向転換には「じわっと感」がわざと設けられているのだが、これが「ハンドルの遊び」である😄。
「デジタル化」は無駄を排除し効率性を高める役割は得意だが、この「ハンドルの遊び」までなくしてしまう危険性があるのだ。「鬼平犯科帳」という記事でも書かせていただいたのだが、例えば「清濁併せ呑む」といったような「人間的行動」は往々にしてアナログ的(非合理的)な要素が多いのだ😜。
例えば、氷川きよしが歌う「きよしのズンドコ節」にはこんな歌詞がある。「向こう横丁のラーメン屋 赤いあの娘のチャイナ服 そっと目くばせ チャーシューを いつもおまけに 2・3枚」😃。
デジタル的解釈では、特定の客にどういった基準で「おまけ」があるのか?大げさに言えば業務上横領ではないか?監視カメラが必要だ。いやむしろロボットの方が正確で効率的だ。お客様には平等に接しなければ不公平だといった「正論」😤であり、アナログ的解釈では、若い二人がうまくいけばいいなという「ほほえましい情景」である😍。
「100年老舗飲食探訪」では、往々にしてこのアナログ的対応で助けられることがあるのだ😜。日本のデジタル化の進展は歓迎しつつ、今後は「ハンドルの遊び」(アナログ)との両立が課題になるのではないかと考えている、こたパパである😉。
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