「希望の言葉」という約束


こたパパです。

 

今日はこたママとの約束の話。

 

こたママは、当初悪性リンパ腫との一時診断を受けていたのだが、後日精密検査の結果、世界でも数百例しかない希少がんと判明した。大病院の専門医でさえ、実際の診断を下した医者はほぼおらず、国立がんセンターでさえ、十数例しかない超希少がんであると。しかもかなり進行しているとの告知を二人で受けたのだ。

 

この時の衝撃は、悪性リンパ腫告知の時と比べ物にならないほどすさまじいものだった。いわゆる「標準治療」がこの世に存在しないということなのだ。

 

病室に戻り、こたママはこたパパにこう言った。

 

「これからは、「希望の言葉」だけ伝えてね。「絶望の言葉」は絶対言わないでね。」と。

 

こたママは絶望の言葉には耐えられないと。こたママは自分の妹にも同じことを伝えていた。

 

つまりこたママには明るい未来の前向きな言葉を伝え、たとえ余命告知を受けてもこたママに伝えないでということだ。こたパパは、子供達や大学病院の主治医、医局長や婦長にもこの話をして、絶対この約束を守るように伝えた。

 

ただ一方で、こたパパは、こたママに伝えず、数少ない医学論文を探して翻訳にかけ、これからどういう経緯をたどるのかについて、かなり調査したのだが、調査開始後1か月くらいで、こたママのようにリンパ節転移がある場合、2年生存率はほぼ0%という結果を得ていた。(実際こたママは1年5か月だった。)

 

こたパパは、ゲルソン療法をはじめとする食事療法や、ウォーキング療法を含めた各種運動療法等ありとあらゆる希少がん療法を調査し、ゲノム治療準備も行い、これらを実際試してみて、こたママの体調が少し良くなるとお互い喜んだ。(怪しげな占いスピリッチュアル系や薬除き。多分にプラセボ効果だと認識しつつだが・・)

 

こたパパは、こたママ入院中もLINEやTV電話を活用し、こたママに数年後であろう初孫の話をしたり、退院したら海外旅行に行く話をし続けた(この頃コロナ禍で面会時間は極端に制限されていた)。こたママも苦しそうではあるが少し笑ってうなずいていた。

 

主治医はもうそろそろ実情を伝えるべきだといったが、こたパパはこたママが自分からこたパパに本当のことを言ってというまで、絶対にダメと言った。確かにこたパパにとっても、真実を告げる方が楽だった。今後どうなるかを知りながら、1年数か月もこたママに明るい未来の話をするのは本当に辛かった。ただ一方でこたママの前向きな精神を維持すれば、奇跡が起こるかもとも考えていた。

 

こたパパはこたママの前で泣かないように、病院に行く前に小太郎と家で泣いてから訪問したことも一度や二度ではない。恐らくこのような思いで看病されている方は日本全国におられるのだろう。

 

結局、こたパパは、こたママとの「希望の言葉」という約束を最後まで守り通した。こたママがどう思っていたかはわからない。恐らくうすうす感じていたのかもしれない。

 

現在はこたママ(ペンダント)と小太郎で、100年飲食探訪を行っているが、いつかあの世で、きっとこたママに褒められるはずだと勝手に信じ込んでいるこたパパである。

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       集中治療室のこたママに送った写真

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