人生の残り時間


こたパパです。

 

今日は「人生の残り時間」についてのお話。

 

先週半ばに突然その事態は起きた。こたパパと同年代の同僚が、会議後に会社で倒れたのだ😲。

 

女性管理職で責任感が強く、毎日新幹線通勤という環境だった。子供が昨年大学に入学したばかりである。診断は、脳梗塞及びクモ膜下出血で、少なくとも今年度は出社が難しいようなのだ😰。(ちなみに現在はコロナで、病院お見舞いも行けないのだ😭)

 

こたパパもほんの2年半前まで、こたママがいなくなることは想像だにしていなかったのだが、当人もまさかこんな事態になるとは思っていなかったはずだ。今回の出来事を踏まえて、こたパパは改めて「人生の残り時間」について考えたのだ🤔。

 

以前、「やりたいことは早くやる全部やる」という記事でも記載させて頂いたのだが、多くの方が「定年になったら」とか「子育てが一段落したら」とか考えて行動される。それが別に悪いわけではないし、確率的に言えばむしろ「妥当かつ合理的な思考」であろう🙂。

 

しかし、ひとたびスケジュールが狂って、以後好きなことができない状況になったときの人生に対する絶望感や悲しみは限りなく深い。その状況から何とか立ち直ることはできるだろうが、やはり「こうしておけばよかった」という思いは、どうしても残るのではないかと思うのだ🤔。(何せ今のこたパパ自身がそうだから・・・😢)

 

「没イチ男性の弱さ」という記事でご紹介したが、没イチ男性の平均余命は約30%短くなるのだ。つまり健康寿命を考慮すると、こたパパが自力でいろいろ挑戦できる期限は70歳である。しかしこれも確実ではない。死ぬ時に後悔しないためには、「やりたいことを早くやる全部やる」を、日々意識し実践するしかないのだ🙁。

 

こたパパは、ある意味こたママのおかげで「100年老舗飲食探訪」を開始したのだが、こたママがいなくなって、日々の時間をかなり有効に使ってきたせいか、最近これ以外にもいろいろやりたいことが出てきたのだ😜。逆説的かもだが、大げさに言えば、だからこそ今死んでもそれほど後悔しないというか、しょうがないという「諦観の気持ち」なのだ😄。

 

没イチの方の中には、「何もする気が起きない」という方もおられるはずで、こたパパは、その気持ちが十分理解できるのだが、何か少しでも興味のあることに「着手」してみるだけで、そこから立ち直るきっかけになるかもしれないのだ🙁。(だめなら別のことをやればよいだけだ😉)

 

こんなことを書くと、いかにもこたパパが立ち直っているかのようだが、全くそんなことはないのだ😢。ただ、悲しみや苦しみを抱えつつも、せめて自分の「人生の残り時間」を充実させなければ、こたママに申し訳ない(あっちで叱られる😅)と感じているだけである🙁。

 

まずは、入院している同僚の一刻も早い回復を祈るこたパパである😌。

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