広島太郎さんの訃報に思うこと

こたパパ@全国100年老舗節約グルメ旅人です。

 

本日は「広島太郎さんの訃報に思うこと」についてのお話。

 

先週の事だが、あの広島太郎さんが人生を終えられたとの報道があったのだ。広島市民で広島太郎さんの事を知らない方はほぼおられないだろう。かつてはこたパパが大好きなNHKのドキュメント72時間で、「広島太郎を探して」という番組が制作されたほか、様々な地元メディアにも数多く取り上げられてきた、超有名人である😁。

 

こたパパ自身も過去何度も遭遇したが、大量のぬいぐるみを身に着け、様々な生活用品をリヤカーや自転車に積み込み、格言とも自慢ともとれる文言を掲げ、何十年も本通近辺の路上に寝泊まりされていた広島太郎さんは、ある種の近寄りがたさと魅力が混在した、広島市の都市伝説のような方だったのだ😲。

 

ニュースによれば、最後は施設内で70代後半の人生を終えられたようだが、こたパパは彼が自分の人生を振り返った時の、嘘偽りない本音が聞きたかったなぁと思わざるを得ないのだ🙂。

 

一説によれば広島太郎さんは、鉄工所経営の裕福なご家庭に生まれ、広島大学政経学部経済学科を卒業後、東洋工業(現在のマツダ)に入社し、設計を担当されていたようだ。まあ、当時の広島で言えばエリートと言われる方なのだろう。その後失恋などから数年で退社され、様々な紆余曲折を経て、路上生活者「広島太郎」としての人生をスタートされたようである🙂。

 

実家からは勘当され、長年にわたる路上生活は体力的にも厳しく、また嫌がらせや誹謗中傷もかなり多かったと思われ、「人生の落伍者」とみなされて、ある種の「憐みと軽蔑」が混じった視線も多くあったと思うのだが、実はこたパパは、彼自身はそれほど不本意な人生ではなかったのではないかと思うのだ🤔。

 

以前「スナフキンへの憧れ」という記事を記載したのだが、社内では「自由人」と呼ばれるこたパパでも、それなりにペルソナ(仮面)のような表面的な振る舞いでサラリーマンを続けていて、広島太郎さんのような「振り切った」自由人に一種の憧れがあったのだ。事実地元には支援者もそれなりにおられたようである😁。

 

以前「幸福とはwill時間を増やすこと」という記事を記載したのだが、広島太郎さんの人生は確かにはた目からみれば「苦難の人生」に見えるのかもしれないが、本人的には、人生の大半を「will時間」で過ごすことができたという意味において、実は「かなり幸福だった」のではないかとも思うのだ🤔

 

広島太郎さんの訃報に接し、謹んでご冥福をお祈りするとともに、人間は結局どんな状況においても、最小限の「must時間」で最大限の「will時間」を過ごせることが最も幸福なのだろうと改めて感じた、まだまだ中途半端な「自由人」のこたパパである😉。

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