ステルス多死社会の日本

こたパパ@全国100年老舗節約グルメ旅人です。

 

本日は「ステルス多死社会の日本」についてのお話。

 

先週はこたママの三回忌だったのだが、その前週にこたママ兄弟がお線香を上げに来られたくらいで、こたパパ家では特に何もしなかったのだ。以前「こたママの初盆」という記事にも記載したのだが、そもそも樹木葬希望で納骨も四十九日も一周忌すらしておらず、面識のないお坊さんにお経なんか読んでもらいたくないなどと、かなり不謹慎なことをのたまっていた、こたママ自身の希望でもあるからである😓。

 

ただ、子供達には、どんなに忙しくともこの日だけは心の中でこたママと近況について色々話してねとお願いしていたのだ。こたママはこれで十分満足なことをこたパパはよくわかっているのだ。幸いにも、両家親戚一同にはこたパパ家の考えを尊重して頂いているので、特に問題はないのだ😐。

 

一方でこたパパは、このコロナ禍の社会環境がかなり長引いていることもあって、こたパパは日本社会の日常生活から、「死」というものがかなり見えにくく(ステルス化)なっていると感じているのだ😥。

 

昭和の前半まで、人生最期の時を「自宅」で迎える割合が8割を超えていたのだが、平成27年に行われた人口動態調査では、逆に2割を切っている状態である。つまり8割以上の方が病院や介護施設で亡くなられているのだ😖。

 

これは高度経済成長期を経て、核家族化が進み2世代あるいは3世代同居が極端に減少したことが主因だが、こたパパはこのことが「死」がステルス化されている要因の一つだと感じているのだ😮。

 

つまり昔は、「死」という絶望に対し、その心情やお世話を含めて家族が真正面から向き合わなければならない環境が、今では病院や施設にその役割をかなり移管することで、考えようによっては、「死へのプロセス」といった辛いことを見ないで避けることもできるということである😑。

 

こたママの場合もそうだが、病気になった際に子供たちはみんな大学生で家から出ていた。社会人になってからもそうだ。確かに情報化社会でいつでも連絡自体は容易に取れるのだが、こたママの闘病経緯や心情の変化、日々弱っていく状況をリアルに感じ取れていたかといえば、かなり難しかったはずだ😣。

 

こた母の場合も同様で、現在大阪の施設に入所しているのだ。現在は認知症が進み、言葉を発することも、またこたパパを認識することもできないくらいだが、少し前にまだ話ができたときのこた母の心情を全て理解することは恐らくできていなかっただろう😥。

 

また、このコロナ禍で生前のお世話やお見舞いも十分にできず、さらに亡くなった後も葬儀形式が「家族葬」中心となり、社会全体から葬儀参列する機会すら大幅に減少したことも「死」がステルス化している要因だろうな😟。

 

日本社会はこれから「多死社会」を迎えるわけだが、これらの状況を見ると、こたパパはこれからの「死」が淡々とベルトコンベア化された無味乾燥なものにならないかと多少心配になるのだ。というのも、日本財団が昨年行った「人生最期の迎え方に関する全国調査」では、自宅での最期を希望される方が55.8%と最多なっている。つまり現状では多くの方が「望まない場所での最期」を迎えられているのだ😥。

 

現実的な社会構造上やむを得ないかもなのだが、こたパパはやはり最期は「自宅」で過ごしたいなぁ。そのために、単身者の在宅看護とはどういうものか自分なりに調査はしているのだ🙂。

 

下の写真は、こたママ最後の入院の際、お互いの「頑張ろうガッツポーズ写真」をLINEで送りあったものである。ちなみにこたママ自身は「最期は家で」と言ったことはなかったのが、これは単に「希望の言葉という約束」の影響かもしれないな😣。

 

いずれにしても将来、こたパパ、こたママ、小太郎、二代目小太郎の合同樹木葬を迎えるその日まで、苦しく寂しい環境でも、工夫しながらできるだけ明るく楽しく人生を過ごしていかねばと考えている、こたパパである😉。


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